「志」について思うこと − 龍馬伝を見て

こんにちはuzakadeuです。


家族でNHK大河ドラマ龍馬伝」を見るのが我が家の習慣になっています。主役の福山雅治さん以外にも、近藤正臣さん、田中泯さん、伊勢谷友介さんの個性的な演技にもハマってます。
龍馬伝」は楽しみな反面、我が子がこのドラマを見て、「志」を絶対的価値、と思ったりしないかなとちょっと複雑な気持ちです。




この「龍馬伝」の中で龍馬や武市がよく口にする「志(こころざし)」という言葉。国語辞典を見ると

  • 「志」…信念。目的。目標。

と書いてあります。


そんなに分かり難い言葉でも特殊な概念でもありません。内容は色々あれどおそらく誰もが「志」を持っていると思います。龍馬や武市の敵であった佐幕側にも、日々の生活を丁寧に過ごしていた民衆にも「志」を持った人は大勢いた筈です。
でも龍馬を含む幕末の志士について触れる場合、「志」は『生を求めて以て仁を害するなし』という、生命を捨ててでも貫き通すべきモノとして語られてると思います。




今多くの日本人が閉塞感を感じ、この状況を打ち破ってくれる人物を切望しているように思います。だから「志」を持てはやし、若者に「志」を持つように諭し、一年毎に首相を入れ替えるのでしょう。


でも私は、みんなの為に命を顧みず行動する事が、唯一絶対的価値だとは思いません。
たった一つしかない命、何億年も前から受け継がれた命の使い方は人それぞれであって欲しい。今その使い方に迷いがあるなら今は使わなくても構わない。必要に応じて使い方を変えても構わない。平凡に長く使っても構わない。決して、他人がそれを求めるから、それが格好いいから、みんなの為に命を投げ出すのは当たり前だ、とは考えないで欲しい。


誰かが「志」を説くとき、その「志」はその人の成功体験から来た教訓レベルのものではないか、その人に都合のいい戦士を作る為の洗脳ではないか、その人の楽しみを格好よく見せる為の飾りではないか、と少しだけ疑って欲しい。


我が子にいつかそういうことを伝えたいと思います。




ところで坂本龍馬小渕恵三さんって似てると思いませんか?私は似てると思います。




















以上です。